ニャーちゃん近況

家の中でねむるにゃーちゃん。平成2年の5月ごろに近所の土手からやってきたので、かれこれ19年6ヶ月になる。消す前のブログにも再々出てきていた我が家のアイドルだ。
そんなにゃーちゃんも寄る年波には勝てず?数ヶ月前に光を失ってしまった。おそらく白内障なのだろう。このとき、視力が衰えると同時に体重が見る見るうちに減っていってしまった。4kから3kに落ちてしまったので、人間でいえば「激ヤセ」といったところか。
そんな日々を過ごしていたのであるが、つい先日、母親が「にゃー、なんか太ったことない??」といって興味津々に体重計に乗せるとなんと4kまで回復していた。そうか、今思えばあの「激ヤセ」は目が見えなくなる精神的ストレスに起因したものであったのかもしれない。完全に見えなくなって数ヶ月が経過し、見えない状態が当たり前になり、それでもそれなりに生きているうちにストレスは解消され、元の体重に戻ったのではないだろうか。
この猫には毎回驚かされることばかりである。大したしつけもしないのに、トイレも砂場でするようになり、台所やちゃぶ台に乗ることもない。コタツに上がることすらなかった。目が見えない今でも、壁に頭をぶつけながら水飲み場を探し、トイレの砂場へと向かう。これまで何回か病気で死にかけたがその都度復活し今に至っている。
そんなある日の休日の午後、目が見えないことも忘れたのかなぁと思いつつ抱っこをしてみると、生来「抱っこ」が大嫌いということは決して忘れることはなく、けたたましい鳴き声とともに僕の腕をかみ、その場から逃げだし、壁に頭をぶつけながら母親が買った「ネコベッド」へと帰っていくのであった。


動物にはいつも驚かされますね、僕も一昨年14年間可愛がり続けた愛犬が他界しました、晩年はいろいろ生活に支障がでてたみたいで、可哀想だ、なんとかしてあげたい、と思っていましたが、今回うっしーさんの記事を読んで、そもそも彼らのことを可哀想だとか不憫だと思うのはこっちのかってなエゴなのかもしれませんね、彼らは幸も不幸もなんの抵抗もなく受け入れ起こった時にその都度特に疑問ももたず受け入れてるような、気がしました。お金持ちの血統書付きのペルシャ猫ちゃんだって野良猫生活になればそれなりに本人(猫?)は受け入れ生活するんでしょうね、人はそれをみて可哀想とゆうでしょうが、なんにしろ人は彼らに学ぶ事が多々ありますね、
投稿: ずーみん | 2009年11月 5日 (木) 08時59分
我々の感覚を動物に適用させてしまうのは、まぁエゴとまでは言わないまでも「それは人間さんのお余計なお世話」と言ったところなのかもしれないです。
それなりに生きるというのは、僕らにも必要なスタンスかもね。それなりに生きるだけなら、そんなに悪い所じゃないよね、この国は。
J.boy たよりなく豊かなこの国に~
J.boy 何を賭け~
何を夢見よう J.boy~ っと浜省を歌ってみますた。
投稿: うし | 2009年11月 5日 (木) 23時13分